小説『人生とドラマ』
- Reiko
- 5月9日
- 読了時間: 3分
更新日:5月14日

冬の夜は、とても静かだった。
子どもたちが眠りについたあと、
わたしは台所の片付けを終え、
湯気の立つお茶を運んで、
リビングのソファにそっと腰を下ろす。
時計は、まもなく夜の11時を告げようとしていた。
それが、わたしにとっての“物語の始まり”だった。
テレビをつける。
雪が舞い、音楽が流れ、画面の中の彼女が、優しいまなざしで振り返る。
チョン・ユジン。
その名を聞くたびに、わたしはふっと胸の奥が温かくなるのを感じる。
『冬のソナタ』。
それは、忙しさに追われていた毎日の中で、わたしが“わたし”に戻れる、たったひとつの時間だった。
当時、子どもはまだ3歳と5歳。
朝は保育園の準備に追われ、昼は仕事。帰宅後は家事と育児。
気がつけば、わたしの一日は、誰かのためだけに過ぎていた。
そんなわたしに、彼女
ユジンは、静かに語りかけてくれた。
「あなたは、あなたでいていいのよ」
そんなふうに。
夫は、最初そのドラマを鼻で笑った。
「また韓国?くだらない」と。
でもわたしは、何も言わなかった。
それほどまでに、ユジンの言葉や表情、そして物語が、わたしの支えになっていた。
やがて夫は、自分が間違っていたことに気づいたらしい。
職場での話題に乗り遅れ、女性たちの熱に圧倒され、
ある夜、まるで映画のワンシーンのように、涙ぐみながらわたしに頭を下げた。
「ごめん。バカにして…ほんとにごめん」
わたしは、笑った。
「そんなに謝らなくていいのに。わたしはただ…少しだけちょっぴり楽しみたかっただけ」
それからの夫は、まるで物語の登場人物のように変わった。
放送時間になると、テレビのチャンネルを合わせ、座布団を敷き、お茶とお菓子まで用意してくれた。
子どもたちが泣いても、話しかけても、
「お母さんは今、ドラマを観てるんだ」と、優しく制してくれた。
子どもたちは不思議そうな顔をしていた。
夫のその一生懸命な姿に、わたしも驚いた。
あれから、ずいぶん時が経った。
子どもたちは大きくなり、家の中はすっかり静かになった。
でも冬が来ると、わたしは今でもあのドラマを思い出す。
ユジンの声、雪の坂道、そして、夫のあの言葉。
「お母さん、冬のソナタ、始まるぞ」
あのひとことが、わたしの心に灯った、小さな光だった。
人生も、ひとつのドラマだと思う。
笑ったり、泣いたり、時に怒ったり。
でも最後には、誰かの優しさが胸に残って、ふと振り返っては微笑んでしまうような。
そんな物語。
わたしの人生は、たしかにあの冬の夜、
“ひとつのドラマ”と出会って、美しく変わったのだ。
今も、これからも、
わたしの人生のどこかで、ユジンは静かに微笑んでいる。
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