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“応援”がわたしの原点だった高校時代の話

  • 執筆者の写真: Reiko
    Reiko
  • 4月9日
  • 読了時間: 3分

更新日:5月14日


「子どもでもなく、大人でもない」

そんな高校生のわたしは、なんと5つのクラブに所属していました。



なぜそんなに?とよく驚かれますが、どれも最初は“誰かの頼み”や“ちょっとした興味”から始まりました。

でも、どの部活にも、今のわたしにつながる大切な学びと出会いがあったんです。




【1】部落解放研究会



ー「平等」の意味に出会った場所



きっかけは、友人の「先生に恋してるの。一緒に入ってほしい」の一言。

半分興味本位、半分友情で入った部活でしたが、活動は本格的で深いものでした。



養護学校への訪問、文化祭では夜中まで新聞づくり。

わたしは「障害の有無に関係なく、みんな同じ人間」と思っていたけれど、

その中に“無意識の線引き”があったことに気づき、ショックを受けました。



当時は苦しく感じたその気づきも、今ではわたしの心の大切な一部です。




【2】和文タイプ部

ー 文字の温もりを知った時間



マネージャーがいないから…とお願いされて入ったこの部活。

仕事は、部員の誕生日プレゼントを選んだり、タイムを測ったり。

ついでに3級の試験にも合格しました。



和文タイプで「ガチャガチャ」と文字を打つ感覚。

今ではパソコンに変わってしまったけれど、

一文字ずつ探し、手を動かして打つ中で、言葉の重みと大切を学ぶことができました。



そして、誰かのためにプレゼントを選ぶ時間が、意外と好きだったことも覚えています。





【3】書道部

ー 苦手を超えて、友を支えたくて



中学生からの友人が、書道を心から愛していました。

部がなくなりそうで、頭を下げて「お願い、入って」と頼んできた姿に胸を打たれました。



わたしは筆を持つと手が震えるほど書道が苦手。

それでも、「この子の想いを応援したい」一心で入部。

部活に出たのは数回だったけれど、友人の真剣な姿を見られただけでよかったと思っています。





【4】ソフトボール同好会

「できない」けど、支えたかった



運動音痴なわたしには無縁と思っていたソフトボール。

でも、「どうしても部にしたいの、人数が必要なの」と真剣な瞳で頼まれて…。



出席したのは一度きり。



でも、彼女の夢が叶い、部に昇格した時の喜ぶ顔が忘れられません。

わたしは、きっと「誰かの夢が叶えられて」嬉しかったんだと思います。





【5】平和研究同好会

ー 息苦しさの中にあった気づき



顧問の先生が、わたしの作文を気に入ってくださって、強引に入部。

でも、真面目すぎる空気に息が詰まるような思いをし、1回だけ出席してそのまま離れてしまいました。



後から「先生が申し訳なく思っていた」と聞いて、心がちくりと痛んだのを覚えています。

でも、この経験もまた、わたしにとっての“人との距離感”や“無理しない大切さ”を教えてくれました。





「応援すること」が、わたしの強さになった。



こうして振り返ってみると、わたしは「自分がやりたい」よりも「誰かの想いに心を動かされて」動くことが多かった。それは優柔不断だったかもしれないし、流されていた部分もあると思います。



でも、そんな中でも、わたしは楽しみ、学び、誰かの笑顔のために動いていました。


そして、はっきり言えるのは、

わたしは、真剣に頑張っている人を応援することが大好きだということ。



それは今も変わらない、わたしの中の大切な芯になっています。





あなたは、誰かの“応援者”だったことはありますか?



決して自分が主役じゃなくても、そっと支える側で心を込める。

それもまた、すごく素敵な生き方だと、わたしは思っています。

 
 
 

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