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小説『愛の証を知った日』

  • 執筆者の写真: Reiko
    Reiko
  • 6月24日
  • 読了時間: 3分

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小さな頃から、わたしはよく泣いた。

何かが悲しくて、何かが苦しくて、言葉にできない「なにか」に、涙で応えてきた。


母はよく言っていた。

「あなたは、泣くことでしか、世界とつながれなかったのよ」

その言葉が、ずっと胸に残っている。


赤ちゃんのころ、夜泣きはひどかったらしい。

痛い、お腹がすいた、抱っこして、言葉の代わりに涙をつかって、世界に訴えていたのだ。


幼稚園では、おとなしくて、誰にも相手にされなかった。

誰かが話しかけてくれるたびに、うれしくて泣いた。

悲しくて泣いているのか、さびしくて泣いているのか、

自分でもわからないまま、ただ涙がこぼれた。


でも、ある日、ふと泣くのをやめた。

「涙がなくなったら、どうしよう」

そう思ったから。

泣けなくなることが、なぜか怖かった。

わたしは泣くことでしか、自分を感じられなかったのだ。


小学生になると、いじめが始まった。

机にゴミを入れられたり、無視されたり、

心も体も、傷ついていった。


でも、わたしは泣くことで、生き延びた。

泣くことで、感情を捨てずにすんだ。

あるとき、図書館で一冊の伝記を読んだ。

その偉人は、どんな困難の中でも人を恨まず、愛を選んだ。

涙が止まらなかった。

はじめて「誰かを尊敬する」という涙を流した。


中学生、高校生、大学生。

恋をして、失って、また恋をして。

友達とケンカして、和解して、

嬉しさと悔しさと愛しさと切なさが、

交差するたびに、わたしは涙でそれを受け止めた。


社会人になると、涙はときに「弱さ」として見られた。

でも、恋愛の裏切り、理不尽な言葉、

そんな中でも泣くことで、心の奥に残っていた「信じたい気持ち」が壊れないように守っていた。


そして、結婚。

夫とのすれ違い、姑との誤解、

子どもが傷ついて帰ってきたとき、

わたしの涙は「母の涙」になった。


誰かのために流す涙を、

わたしはそのとき初めて知った。


そしてある日、父が病に倒れた。

弱っていく姿に何もできず、ただ手を握っていた。

父が残した「ありがとう」という言葉に、

わたしはただ、静かに泣いた。

それは、「愛された記憶」に触れた涙だった。


思えば、わたしは

涙を通して、愛に出会ってきたのだ。


赤ちゃんのときは、「生きるため」に。

子どものときは、「わかってほしくて」。

大人になってからは、「誰かのために」。


泣くことは弱さじゃなかった。

むしろ、涙は「人としての証」だった。

そして涙のひと粒ひと粒は、

光になって、わたしの人生を照らしてくれた。


今、わたしはこう言える。


涙は、愛の証だ。

それは、神さまから人間にだけ与えられた、

最もやさしく、最も強い、命のしるし。

 
 
 

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