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小説『手紙がくれた私の人生』

  • 執筆者の写真: Reiko
    Reiko
  • 6月4日
  • 読了時間: 4分

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文字の向こうに、心のぬくもりを感じたあの頃。

これは、孤独な少女が心を届ける人になるまでの物語。


誰にも名前を呼ばれなかった教室で、わたしは沈黙を飼っていた。


今では当たり前のように、世界はつながっている。

スマートフォン一つで、誰とでも話せる。

インスタ、LINE、フェイスブック。知識も感情も秒速でシェアされていく。


でも、あの頃のわたしは、人とつながる方法すら、知らなかった。


小学6年生のとき、わたしは気づいてしまった。


「わたしには、友達がいない」


その瞬間、心の奥で何かが崩れ落ちる音がした。


恥ずかしかった。ショックだった。

だけど、それ以上に…自分が人を思いやる心すら持っていなかったことに、恐怖すら感じた。


「わたしは性格が悪いから、友達ができないんだ」


その思い込みが、私の胸を何年も支配した。

でも同時に、どこかで「変わりたい」とも願っていた。


偉人や聖人の伝記を読み漁った。

心理学の本にも没頭した。

わたしは誰かの心に寄り添える人になりたかった。それは、自分を救いたいという願いだったのかもしれない。


そんなある日、出会ったのが文通だった。


文字だけが、わたしの世界を開いてくれた


雑誌の「文通コーナー」に応募してみた。

20名のうち、12名から手紙が返ってきた。

7人とは1年以上、4人とは8年を超えてやりとりが続いた。

誰一人として、顔を見たことはない。

けれど誰よりも心を見せてくれた。


日々の悩み、恋愛の相談、人生の迷い。

一通一通に、人生の真剣さが宿っていた。

自分の言葉が誰かの救いになることがある。

そう知ったのは、この文通たちだった。


ある時、10代の女の子が雑誌で「悩んでいます」と投稿していた。

わたしは、自分の中学時代の痛みを思い出しながら、真剣に手紙を書いた。


数日後、返信が届いた。

それは、彼女の「お姉さん」からだった。


「妹のあなたの手紙を読んで、わたしがこう言いました。この人と文通したいと」


そうして始まった姉との手紙交換。

最初は相談、やがて心の奥を開くような語らいへ。誰よりも深く、温かい手紙が、わたしの心を育ててくれた。


ある男性は、19歳で精神疾患を患ったことを告白してくれた。

けれど、彼は映画製作という情熱をもって人生を生きていた。

わたしは、彼の生き様に憧れた。


だけどわたしが結婚し、嫁姑との葛藤に悩まされ始めた頃、心の余裕が失われ、文通の言葉もとげとげしくなっていった。

彼との手紙も、母の死を機に自然に終わった。


もう一人、机の中がポストだった文通相手がいた。

高校時代、いじめられたわたしにとって、同じ席の定時制の女の子との文通は「唯一の居場所」だった。

なのにわたしは、自ら幕を下ろしてしまった。

後悔と共に今も記憶に残る、大切な光だった。


わたしは気づいていた。

どんなに世の中が便利になっても、

心を結ぶには「時間」が必要だということを。


文通は、待つ。

考える。

言葉を丁寧に選ぶ。

相手の心を想い、返信を封筒に閉じ込める。


そのすべてが、わたしの中の「誰かのために生きたい」という想いを少しずつ、静かに、芽吹かせていった。


そして今わたしは心を届ける人になろうとしている。


今、わたしはこうして人の心に寄り添う道を歩いている。

カウンセラーという職業に導かれたのは、まぎれもなく、あの誰にも会ったことがない友達たちのおかげだった。


彼らの言葉がなければ、わたしは人とつながる意味も、思いやることの温度も知らずに生きていただろう。

誰にも心を開けなかったわたしが、手紙という「言葉の橋」を通して、人と人をつなぐ役目を持つようになった。


「ありがとう。あなたたちがいたから、わたしは“わたし”になれました」


この物語は、決して特別な誰かの話ではない。

心が孤独だったあの日、ひとつの便りが誰かを救う。そんな奇跡が、この世界には確かにあるのだ。



📚読者へのあとがき


手紙は、もう時代遅れかもしれない。

でも、人の心が一番響くのは、「誰かが自分のために、時間をかけて、言葉を選んでくれた」という事実。


だからわたしは、今日もまた、誰かの言葉に耳を澄ませている。

この世界のどこかで、「あなたの声」を待っている人がいると信じて。

 
 
 

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